民法の解釈とは?

民法を学ぶということは、民法を理解して、実際の法的紛争を解決できる能力を養うということです。

民法の条文を見てみるとわかると思いますが、以下のように非常に抽象的な言葉で書かれています。

公序良俗
第90条 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。

これだけ見ても、何のことかわからない方が多いと思います。

公の秩序って何?、善良の風俗って何?、法律行為って何?

疑問だらけだと思います。
民法の条文では、上記のような抽象的な言葉が1044条も続いています。
その条文を暗記するのが、民法の勉強ではありません。

その条文を一つ一つ、解釈していくことが民法の勉強です。
上記に書いたように、公の秩序って何?、善良の風俗って何?、法律行為って何?ということを考えて、答えを出していくことになります。

もちろん、小説を読んで、自分の好きなように解釈するのとはわけが違います。
小説なら、人によって、いろいろな解釈、感想を持ってもよいですが、民法の解釈は、人によってまちまちというのでは、困ります。
多少の、解釈の幅は許されるものの、一定の決まりがなければ、社会のルールとしての民法の意味がなくなってしまいますよね。

民法に限りませんが、法の解釈では、一貫性というものが要求されます。
その一貫性も個人の一貫性ではなく、民法が制定されてからの長い歴史の中での一貫性が要求されるということです。
同じ条文の解釈が現在と、過去とではまったく違う、人によってまったく違うというのでは、社会規範としての民法の意味がなくなってしまうわけです。
この一貫性のことを「すでに蓄積されている確立した法原理との整合性」とも表現されます。

一度、解釈された条文は、後々の類似の紛争でも、同じように適用されていくということになるわけです。
ですから、今現在起こっている紛争だけを考えて解釈するのではなくて、後に、類似の紛争が起こったときに、その解釈で妥当かどうかを考える必要があります。
つまり、「その射程に含まれる類似の事例でも妥当性を主張しうるものでなければならない」わけです。

そして、民法は、一般社会の法律ですから、われわれ一般人の常識に即した解釈でなければなりません。
われわれ一般人の感覚からかけ離れているようでは、法解釈としての価値はないわけです。
そのため、「常識に合致した結論でなければならない」わけです。

要するに、民法の解釈では、法的な素養、一般的な常識を持って解釈しなければならないということですね。

この記事の続きは、民法の解釈とは?でご覧ください。